東京電力福島第一原子力発電所の大事故により、12年たった今なお3万3000人以上の方が生まれ住んだ故郷に帰れないでいます。
近藤昭一は2012年3月に、河野太郎衆議院議員や阿部ともこ衆議院議員らとともに超党派議員連盟「原発ゼロの会」を設立し、共同代表として、具体的に原発ゼロを目指す運動の先頭に立ち、2021年6月には「原発ゼロ・再エネ100の会」と改称し、原発ゼロと同時に再生可能エネルギー100%実現を目指して精力的に活動しています。同会は、政策提言骨子や日本の原発全50基の「危険度ランキング」を発表し、原発ゼロ/廃炉推進のための法案を準備し、エネルギー政策見直しを議論する開かれた場として、有識者とともに「国会エネルギー調査会(準備会)」を104回主宰してきました(2023年6月現在)。「危険度ランキング」はその後、2012年12月に、原発ゼロの会編『日本全国原発危険度ランキング』として、合同出版から刊行されました。
民主党が政権を担っていた2012年9月、私は党エネルギー・環境調査会(前原誠司会長)の事務局長として、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」という「原発ゼロ」を明記した提言をまとめました。野田内閣もそれを受け、エネルギー・環境会議で「2030年代に原発稼働ゼロ」とすることを目指した「革新的エネルギー・環境戦略」を決定しました。東電福島原発事故を政府与党として経験した民主党政権は、従来の原子力政策を見直すために、①全国11ヶ所で意見聴取会、②パブリックコメント(意見公募)、③「討論型世論調査」等の「国民的議論」を展開しました。パブコメでは、2030年時点での原子力発電の依存度を「ゼロ」とする意見が9割弱を占め、討論型世論調査の結果も半数近くがゼロシナリオを支持する結果でした。それらを踏まえて行われた民主党内の議員間討論では、菅直人元首相や福山哲郎元内閣官房副長官、辻元清美衆議院議員らと共に近藤昭一は、遅くとも2030年には原発ゼロを実現することを訴え続け、全議員討論を経た役員会において、最終的に「2030年代に原発稼働ゼロ」の党方針を決定することに大きな役割を果たしました。
2012年6月には、衆議院環境委員会の与党筆頭理事として、民主・自民・公明の与野党三党による原子力規制委員会設置法案の修正協議(6月20日法案成立)の座長を務め、同法案を成立させました。それまで一体だった原子力の推進と規制を分離し、原発は「稼働40年が原則、最長でも60年で廃炉」を明文化しました。また、同法案の第1条に「原子力利用における事故の発生を常に想定し、その防止に最善かつ最大の努力をしなければならない」との文言を入れ込みました。その際、自民党・公明党の担当者とも確認した共通認識は「原発はもはやベース電源ではない」ということでした。
しかし、2012年12月に政権に復帰した第二次安倍政権は、民主党政権が「原発ゼロ」を目標とする方針を打ち出したことについて「具体的な根拠を伴わない」と切り捨て、「ゼロベースで見直す」としました。安倍首相は、原子力輸出を進め、また国内の原子力発電所の再稼働も強引に進めました。それでも、安倍首相、またそのあと1年だけ首相を務めた菅義偉首相も、民主党政権時に定めた原発の運転期間を最長でも60年と定めた原子力炉等規制法(炉規法)の改正はしませんでした。しかし、岸田文雄政権は、東電福島原発事故による教訓から推進と規制を分離し、運転期間を「原則40年、最長でも60年」と定めた炉規法の規定を推進側の経産省が所管する電気事業法に移し、さらに運転停止期間は運転期間に含めないことにして60年を超えても運転できるようにする内容の法改正をこの通常国会で強引に成立させました。GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法という名称で、電気事業法、原子炉等規制法等の関連5法案を一括して「束ね法案」として可決し、安倍政権でさえできなかった原発推進政策に大きく舵を切りました。
私もGX束ね法案の委員会審議で指摘をしましたが、たとえば、茨城県の東海第二原子力発電所の避難対象者は94万人にのぼり、自家用車で避難する人を除き、バスで避難するとしたら大型バス3000台が必要になると想定されており、その実行が極めて困難であるため、関連自治体では避難計画を作成できていません。このように、実効性のある避難計画さえつくれない原発の再稼働はすべきではありません。またこれも法案審査でも指摘しましたが、重大事故が起きた場合に、都道府県におかれている警察と市町村におかれている消防が消火等を含む鎮静作業を行うとの明確な法的根拠は存在しません。基本的に発電所の中は、発電事業者が責任を持つことになっていますが、それでは対応できなかったのが東電福島原発事故でした。
東電福島原発事故は多くの被害者をうみだしまし、今なお、多くの人が故郷に戻れないでいます。しかし、福島原発事故を引き起こした日本人は、あの事故から多くを学んだはずです。被害者として、加害者として、私たちは「安全神話」だけでなく、「平和利用信仰」の実像を直視し、核エネルギー依存から抜け出す道を切り開いていかなければならないと思います。
立憲民主党は、気候危機対策を強力に推進し、2030年の再生可能エネルギーによる発電割合50%および2050年100%をめざし、2050年までのできる限り早い時期に化石燃料にも原子力発電にも依存しないカーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)達成を目指します。
近藤昭一は、原発ゼロ・再エネ100の会の共同代表として、原発に頼らない社会を目指し、再生可能エネルギー100%を実現するため頑張ってまいります。
(2023年7月記)