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各論 5.教育重視

中学生あるいは高校生が被害者としてのみではなく、加害者として報道される事件の記事を読む度に「どうして」という気持ちが強く湧き上ります。教育の現場では、学級崩壊やいじめ、不登校などの深刻な問題を抱えています。
これほど経済が発展し、物が豊かになったにも関わらず、かえって子どもたちの心は大切なものを失いつつあるところもあるかもしれません。多発する少年犯罪は、現在の社会状況と無関係ではないように思われます。

資源のない日本の発展を支えてきたのは、勤勉さと技術革新力を備えた豊かな人材でした。この力は一体どこから来たのでしょうか。物質的な豊かさが、こうした人々をかえってどこかへ追いやってしまったのでしょうか。人は生きがいをもって自ら進んでことを起こす時、猛烈なパワーを発揮します。
現在の日本はあまりにも恵まれすぎたために、めざすべき「夢」や「目標」を失ってしまったのでしょうか。欧米の価値観に影響されすぎて、本来、日本の子どもたちが持っていた「良さ」を見失ってしまったのでしょうか。

以前こんな二つの話を聞きました。一つはカンボジアの話です。かつて内戦による荒廃から復興を果たそうとしていた時、同国がまずやったことは、技術を教える学校の設立ではなく、民族の歌と踊りを教える学校であったそうです。技術を覚えて目の前の外貨を稼ぐことではなく、国の復興のために民族の伝統や文化を思い出させ、民族の誇りをもって復興にあたっていこうということだったのです。そして、もう一つは、アメリカの話です。ある日本からの留学生が大学のクラスに入ったばかりの時に、担当教授から「10年後自分は何をやっているか、想像して話して聞かせて下さい」という質問をされたそうです。多くのアメリカの学生、あるいは、他国からの留学生はスラスラと「夢」と「目標」を交えて話す中、その日本人留学生は何も言えなかったという話でした。
もちろん、コトはそんなに単純ではないでしょうが、私たちはもっともっと自分達が何をしたいのかを考える必要もあるのではないでしょうか。

しかし、それはおしつけたり、教えたりしても出てくるものではないでしょう。自らの体験の中から出てくるのではないでしょうか。私は、私が顧問を務めるNPO法人「グリーンウッド自然体験教育センター」の仲間とともに「KID’S AU 子どもたちのアジア連合」(北東アジア子ども交流)という事業を毎年行っています。
2015年8月で15回目になる事業(沖縄で開催)ですが、ロシア、モンゴル、中国、韓国、在日朝鮮、そして日本という6つの国および地域の子どもたちに野外活動(キャンプ)などを通じて交流してもらおうという試みです。こうした「海外の青少年との触れ合い」により、それぞれの子どもたちに自ら「夢」や「目標」を見つけてもらいたいと思っています。

また、私たちの国が先進国の中で極端に教育予算の少ない現状を変えなくてはなりません。そして、少人数の学級を実現し、一人一人の子どもに目が行き届くことが必要だと思いますし、国連職員や海外協力隊OBなどの多様な人材の活用を推進したいと思います。
OECDの調査によれば、2010年の日本の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合は3.6%で、加盟国中30カ国中最下位です。同報告書は、日本では高等教育機関の授業料が高いにもかかわらず、奨学金を受けている学生が少ないことも指摘しています。
また、幼児期から大学までの教育にかかる費用のうち、授業料や給食費などを家庭が支出する割合は29.8%で、加盟国29カ国中5番目に高く、家庭の負担が重いことが分かります。特に大学など高等教育で他の国と比べて負担が大きく、高等教育に対する家庭支出が約65.6%を占め、OECD平均の2倍以上になっています。教育費の個人負担は2000年と比較しても増加傾向にあると言います。

民主党政権下でできた高校の授業料実質無償化制度が自民党政権によって廃止され、今年4月からは「高等学校等就学支援金」という制度に変わり、支援金の給付に所得制限が課されています。所得制限の対象は全世帯の約22%と言われ、約78%の世帯が就学支援金の対象となっていますが、現実には対象者のうち2~3割が受給できていません。昨年、政府は、授業料実質無償化制度を廃止するに際して、給付対象に漏れが生じることはない旨を確約していましたが、早くも反故にされています。就学支援金は本来子どもに給付されるべきものであり、その子の親・保護者の就労や収入によって左右されるべきではありません。親の所得格差が子どもの教育格差につながるようなことになってはなりません。


2005年10月ソウルで開かれた
第5回北東アジア子ども交流
「Kids’ AU」

子どもの教育の機会均等を保障することは、最も大切な政治の役割の一つです。 自らの豊富な体験がなければ、子どもたちに生き方を教えることはできません。教育カリキュラムの中身も大切です。この点については、地方分権を進め、地域や学校単位で教科書やカリキュラムの決定を出来ることが望ましいと考えます。 また、日本がもう一度新しい出発をするためには、きちんと近・現代史を見つめる教育が必要ですし、障がいのある子どもたちも一緒に学び、心豊かな社会をつくってゆかなければなりません。

(2015年10月記)