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第213回国会 衆議院 環境委員会 第14号 令和6年6月7日

○近藤(昭)委員
 おはようございます。
 今日は、水俣病問題に関することでこうして審議の時間が持たれたことを感謝を申し上げたいと思いますし、私も、その中で質問の機会をいただいたことを感謝申し上げたいと思います。
 環境に関わる問題というのは非常に様々な課題があると思っていまして、そういう意味で、法案はもちろんのこと、法案は当然でありますけれども、様々な課題について、一般質疑あるいは集中質疑が是非多く開かれればというふうに思っています。
 それで、今日は水俣病問題について質問をさせていただきます。
 以前の委員会でもお話しさせていただいたことがありますけれども、やはり環境省、そしてその前の環境庁、まさしく環境庁にとって本当に水俣病というのは原点である、こういう認識であると思います。環境省、環境庁自体もそういうことで言っている。そして、政治家としての課題として、環境問題に取り組む私自身にとっても非常に大きな課題であるというふうに思っています。
 そして、これは、私も、多くの方が御覧になった、目に触れられたと思いますが、ユージン・スミスさん始め多くの写真家、あるいは多くの報道カメラマンといいましょうか、関係者が捉えた写真にショックというか、衝撃を受けた方は多いと思うんですよ。私自身は、具体的にいつかということはつまびらかに覚えてはいませんけれども、やはり中学生の頃だったと思います、ユージン・スミスさんの写真を見たのは。そして、大きな衝撃を受けたということは先般もお話をしました。
 しかし、更に衝撃をというか、ショックを受けるといいましょうか、それは、今もってこれが解決をしていないということであります。私自身は、環境問題にしっかりと取り組みたい、それは一人の政治家としての思いであります。そして、そういう中で、やはり水俣病の問題というのは大きなウェートを占めています。そして、今日もこうして質問をするという機会を得ている、それにある種関わることができることは意義があることだと思っている反面、いまだにこのことが解決をしていないということに対して、非常にじくじたるといいましょうか、悩みを持つわけであります。
 私は、民主党政権時代に環境副大臣をさせていただきました。時に、あらゆる課題に環境問題というのは関わっているので、環境のことをまず考えるべきだ、こういうことも訴えさせていただいてきたところなんです。
 そして、環境庁、環境省ができたのは、やはり経済至上主義、発展主義、とにかく経済が発展していけばいいんだ、それをまず最優先に考えてきた、そこに大きな反省があったと思うし、なければいけないと思う。ただ、一方で、いまだにそのことが、水俣病に対する反省というか、取組の中にきちっとそうしたことは生かされているのか、その反省がということであります。
 私は、今環境問題に取り組んでいるというお話をさせていただきましたけれども、アスベストの問題もそうでありまして、この問題も最高裁まで行きましたけれども、これは超党派で取り組んでいるところでありますが、きちっとした解決がない、特にメーカーの責任だと思っているんですね。
 国の責任が問われました。国がきちっとアスベストを、ほかの国では規制をされているにもかかわらず、日本においては十分な早い規制が行われなかった、そのことによってアスベスト問題が大きくなった。
 そして、メーカーの責任も問われたけれども、しかしながら、いまだ、いわゆる解決といいましょうか、和解と申しましょうか、それがきちっとできていない。だから、メーカーとしては、患者さん、被害者の人たちに、必要な補償等々があればそれぞれの裁判でというようなことを主張されているわけですよね。
 そして、私は、最近のことで申し上げると、また是非環境委員会で議論をしたいと思いますし、議論をする時間をつくるべきだと思いますが、PFOS、PFOAの問題があります。この問題も、早急な規制、早急な対応をしないと、環境被害、健康被害が広まっていく危険性がある、そう思っています。
 そういう意味でも、やはり、冒頭に申し上げましたように、環境庁、環境省ができた、そのときの反省、そのときの意識というものが十分に生かされているのか、そう思うわけであります。そういう思いを持って、しかし一方で、だからこそ私は、環境省に頑張っていただきたい、伊藤大臣におかれましては、その最高の責任者としてリーダーシップを発揮していただきたい、そう思うわけであります。
 さて、水俣病問題について、そうしたことから、まず、国の責任についてということでお話、そして質問を進めてまいりたいと思います。
 改めて、ちょっと振り返るようなことで恐縮でございますが、水俣病は一九五六年、私が五八年の生まれですから、その前に最初の公式発見であります。もう随分たっているわけであります。五六年五月に公式発見されたが、公式確認が五六年だけれども、同年の末には、一九五三年十二月から発生している五十四人の患者と、そのうち十七人が死亡していることが確認されたということであります。
 人によっては、いろいろな統計とか資料とか、調査がしっかりされていなくて、資料も残っていなくて、これは、いわゆる水銀を使っていた工場はもっと早くからあったので、もっと早くから大きな被害が出ていたのではないか、こういう指摘をする研究者もいます。そうした五三年、五六年、それから七十年近く経過しているわけでありますが、先ほど申し上げましたように、いまだに解決しているとは思われません。
 二〇〇四年十月十五日に言い渡された、いわゆる水俣病関西訴訟の最高裁判決、これは最高裁まで行ったわけであります。最高裁判決によって、国及び熊本県には、水質二法、県漁業調整規則の規制権限を行使せず、昭和三十五年一月以降、水俣病の発生拡大を防止しなかったことにつき、賠償責任があるとされたわけです。国、そして自治体の責任があるとされたわけです。
 水俣病は、有機水銀を工場から排出したチッソによって引き起こされたわけでありますが、この最高裁の判決が言うように、水質二法を行使せず、発生拡大を防げなかった国にも大きな責任がある、先ほどから申し上げているところであります。
 公害による健康被害の救済は、他の民事紛争と同様に、被害者が民事訴訟等の手段により損害賠償を求めて解決することが基本であるということであります。しかし、裁判による救済は、緊急な治療が必要な被害者にとって相当の時間や費用を要するという問題があるため、一九六九年十二月に、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法が公布されました。法律による認定制度が始まったわけであります。その後、一九七四年、公害健康被害の補償等に関する法律が施行され、現在、同法に基づき、被害者の方々の認定が行われている、こういう状況であります。
 同法は、公害原因者に課される賦課金を財源として、行政が健康被害者を認定し、認定患者に対して補償給付をするとともに、その健康の回復、保持、増進を図るための公害保健福祉事業を行うこととしております。したがって、水俣病については、公害原因者であるチッソが認定患者に対する補償給付を行い、政治解決の一時金等を支払ってきた、こういう歴史があります。
 環境汚染などに関しては、行為によって発生した費用はその発生原因者が負担すべきであるとする汚染者負担が規範原則であるため、水俣病の歴史を見れば、チッソの意向や支払い能力に応じて被害者の数や補償の金額が決められてきたという指摘もあります。私も、そういう懸念を持ちます。そうしたことが、この問題が最終解決に至っていない、そうした根本にあるのではないかと思っています。
 しかしながら、先ほども言及しました二〇〇四年の関西訴訟最高裁判決によって国と県の賠償責任が認められたことを鑑みると、補償を受けるべき患者は存在している、しかし、それがいまだ行われていないということがあるのではないか、そして、そういう中では国が公害原因者に代わって補償を検討すべき、こういうところもあるのではないかと私は思います。
 しっかりと、早急に、まだ残っている患者さんたちを救済していかなくてはならない、こう思います。大臣、いかがでありましょう。

○伊藤国務大臣
 お答え申し上げます。
 公害健康被害補償法は、民事責任を踏まえた制度として、公害により健康被害を受けた被害者の迅速かつ公正な保護を図ることを目的として制定されました。
 水俣病に関しては、その症候が非特異的であることから、高度な学識、豊富な経験に基づき総合的に検討することが必要であるとの前提の下、暴露歴及び症候の組合せがある場合は通常水俣病と考えるという、いわゆる昭和五十二年判断条件にのっとって、専門家による認定審査会の意見を聞いて認定が行われてまいりました。
 したがって、委員が御懸念を持たれたように、チッソの意向や支払い能力に応じて被害者の数や補償の額を決めているという事実はございません。  チッソ株式会社は、原因者負担の原則を踏まえ、患者への補償金等の支払いを行う。それを前提として、国としては、患者に対する補償金支払いに支障が生じないように配慮する観点から、支援策を講じているところでございます。

○近藤(昭)委員
 大臣の答弁は何か、大変恐縮でございますが、これまでどおりであって、私が申し上げたいのは、そうした中で、残念ながら、七十年近くたっていても、解決というか、患者さん、そして被害者といった、ここで言葉も違う言葉が使われていて、ある種の分断が起きていると思うんです、そうしたことに対して、いまだに解決に至っていないことに対して、どういうふうに十分に大臣が思われているのかなと私は思ってしまうわけであります。
 それで、ちょっと先にというか、確認をしていきたいことがあるんです。先ほど申し上げた最高裁判決、時に、どうしてもといいましょうか、それぞれの立場があると言うとちょっと語弊があるのかもしれませんが、それぞれ主張があるというようなところがあるので司法の場に持ち込まれるということがあるわけであります。そして、司法の場に持ち込まれても、地裁、高裁、やはり最高裁まで行かなければある種の結論が出ない。最高裁で結論が出ても、なかなか解決に至らないところがあるわけでありますが、ただ、仕組みの中で最高裁まで行くという、最高裁まで行ってということであります。
 ですから、先ほど言及しましたように、二〇〇四年に最高裁の判決が出た、これは非常に大きい、そして、そこで国と自治体の責任も問われたということが大きい問題だと思っているんですが、さて、そのときに、二〇〇四年の関西訴訟最高裁判決です、国の責任が認められた。しかし、その後、水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法、これが成立するのはその五年後であるわけです。五年間かかったというわけであります。
 これはどうして、最高裁判決で国の責任が問われて、解決、それに当たる法律ができるのに五年かかったのか。そして、その間は、どのような被害者の皆さんに対する救済の措置を政府として取っていたのか、教えていただければと思います。

○前田政府参考人
 お答えいたします。
 二〇〇四年、平成十六年の関西訴訟最高裁判決を踏まえ、二〇〇五年、平成十七年に環境省におきましては、「今後の水俣病対策について」を発表し、総合対策医療事業の拡充、再開や保健福祉施策の充実などの新たな地域的取組を進めることとしたところでございます。
 一方で、その後の公害健康被害補償法の認定申請者の増加や各種の国家賠償等請求訴訟の提起の状況も踏まえ、新たな救済策の具体化に向けた検討が進められ、二〇〇九年、平成二十一年に、自由民主党、公明党、民主党の合意により水俣病被害者特措法が成立したと承知をしてございます。
 答弁は以上です。

○近藤(昭)委員
 もう少し具体的に、どのような被害者救済の措置をこの五年間の間は取っていたか、つまり、最高裁を受けて、一つ課題がある、残っているという認識の下に、今御指摘のあった、政党間で法案を提出していったということでありますが、この間も、被害者の皆さんたちの窮状というか、厳しい生活、治療生活、療養生活があるわけであります。この間の救済の措置はどういうものだったか、ちょっともう少し具体的にお答えいただけるでしょうか。

○前田政府参考人
 お答えいたします。
 二〇〇四年から二〇〇九年までの救済措置ということでございますが、医療施策の一層の充実ですとか水俣病発生地域の再生、融和の促進ということを行っていくということを中心といたしました「今後の水俣病対策について」を発表したところでございまして、まず、総合対策医療事業の拡充、再開というところでございますが、保健手帳ということで、医療費の自己負担分を全額給付する、そういった給付内容を拡充した保健手帳の交付申請の受付を平成十七年に再開をしたというところでございます。
 答弁は以上です。

○近藤(昭)委員
 ありがとうございます。
 そういう中で、その五年間には、健康手帳ですか、交付を行ってきたということであるわけでありますが、そういう法律ができるまでの間、そして法律ができてから措置をしてきた、しかし、そういう中でも、残念ながら、まだ裁判も続いているというところであります。
 この間、私もできる限り、被害者、そして患者の皆さんのお話を聞かせていただいたり、あるいは、書かれているレポートなどを読んだりするわけでありますが、さて、二〇一二年に特措法の申請が締め切られているわけであります。法律の中では、最終解決をということでこの法案が作られて、そして、それに向けての申請は期限を区切ったわけであります。しかし、救済を求める声はなくなっていない。既に二千人を超える方が裁判で救済を求めている、二千人を超えているわけであります。
 二〇一二年の申請締切り時点で、特措法を知らずに申請できなかった人はどれだけいると把握しているのか。聞き及ぶところによれば、環境省としてはでき得る限りというか、かなりというか、当時、私も民主党政権のときには、先ほど申し上げましたように、環境副大臣として仕事をさせていただいておりましたので環境省とも話をしましたけれども、周知に努めている、大きな課題であるので、全ての人がほぼ知っているというようなことであったんですが、その後も、これは大臣も御存じだと思いますけれども、知っていても申請できなかった。
 つまり、差別を受ける、あるいは、もしかしたら、これはどう表現したらいいか分からないんですが、まだ自覚をするような症状がなかった、しかし、年齢とともに出てくるとか、そういうことがあると思うんですが、こうした、特措法を知らずに申請できなかった人がいるというふうに聞いていますし、直接そういう話を聞いています。
 こうしたことは、そういう状況といいましょうか、そこに対してどのような認識というか把握をしておられるのか、聞かせていただきたいと思います。

○前田政府参考人
 お答えいたします。
 水俣病被害者特措法は、救済措置の開始後三年以内を目途に対象者を確定し、速やかに支給を行うと規定してございます。
 これを踏まえまして、当時、申請期限を設けた上で、期限内に申請していただけるよう、周知、広報の徹底も図ったと承知をしてございます。
 二〇一二年の申請期限時点で水俣病被害者特措法のことを知らずに申請できなかった方がどのくらいいたかにつきましては、承知をしてございません。
 答弁は以上です。

○近藤(昭)委員
 政府として統計を取るような対象というか項目ではない、認識ではないということかもしれませんけれども、やはり、今もなお続いているという中では、締め切ったということでありますから、この時代にということを私も思わないでもありません。それでも、実際お話を聞いて、それが複数おられるという状況を見ると、やはり知らない方がいらっしゃったのかもしれない、いらっしゃるのではないかと思うわけです。
 そういう意味では、そうしたものが把握できるような、つまり、答えられるときには一定程度正確にというのがつくので、余り曖昧なお答えはしにくいんだとは思いますけれども、実相として今もなぜ、そして、さっきも申し上げましたように、二千人を超える方が裁判で救済を求めていることを考えると、やはり何らか環境省としては、終わったとしている立場でありますからなかなか難しいのかもしれません、しかし、私は、冒頭から申し上げたように、環境庁、環境省の原点であるわけで、それがいまだこういう状況が続いていることに対して、やはり大きな懸念があるんですね。
 それでは、大臣に質問させていただきたいと思います。
 先ほど来から申し上げています、特措法を作った、入念にというか、かなり丁寧に環境省が取り組んだということは、私も承知をしているところであります。そして、そういう中で、これはちょっと冒頭申し上げましたように、原因者であるチッソのことも考えるとというか、いわゆる補償の部分とか財源とかも考えると、やはり、あれはある種、和解というスキームでありますから、チッソも加わって、ここで最終解決しよう、よく考えれば、ここで最終解決するんだ、だからきちっとやるんだ、その代わり、申請する人もきちっと知って申請をしてくれということであったと思うんです。そこで一つの区切りをつけようと思ったんだと思いますが、ただ、残念ながら、私はそうなっていないという認識なんですね。
 特措法によって最終解決を目指したわけでありますが、今も裁判が続いている、先ほど申し上げたような状況であります。このことに対して、なぜ今もそうした裁判が続いているのかということに対して、大臣の御認識というのはいかがでありましょうか。

○伊藤国務大臣
 お答え申し上げます。
 訴訟を提起される方々の理由は様々だと思います。そのため、これまで訴訟が続いている要因を一概にお答えすることは困難だと思います。

○近藤(昭)委員
 この問題は、残念ながら長く続いているということの中で、先般のというか、いろいろなところでも指摘されているところであります。当初、食品衛生法を使ってもっと早急に対処すべきではなかったか、しかし、そこで一定の報告が出ていたのに、その委員会が解散させられたとか、いろいろなことがあったと思います。いろいろなことというか、様々あった。そういう中で複雑になっている部分もあると思いますよ。
 もっと早くやれば、もちろん、当時の政治状況というか法律の状況とか、そういう違う要素もあるとは思うんですが、でも、今思うと、もっと早くこの法律とかをやればという声は当然ありますし、そして、そういう中で歴史を重ねてきて、よく言えば、そこに対して対症療法的に取り組んできたところもあって、そういうものが複雑な要素を持っていて、大臣としてもなかなか答弁しにくいのかもしれません。
 あるいは、先ほど大臣が答弁されましたけれども、そういう公健法において認定基準を持った、認定基準に合致するかどうかでやってきたんだと。にもかかわらず、裁判が起こっている。だから、そこは、ある種、認定基準を設けて、それに当てはまるか、当てはまらないかというのが一つのポイントだというようなことをおっしゃったかと思います。もちろん、それはポイントなんです。
 ただ、一方で、そうすると、認定基準に合う、合わない、どうしてもお金の給付とかに関わるわけですから、ここでは、こういう基準を満たせばまさしく患者さんだと。ただ、患者さんと認定するのも難しいというのは大臣も御認識だと思うんですね。だからこそ、政治的な解決もあったと思います。だから、認定基準を設ける、あるいは認定基準を、ある種、政治解決だから緩めるというような、幅広くというようなところもあったと思うんです。でも、私は、そうした緩める、緩めないというここの線引きというものが本当にまさしく難しい、そして、それが分断をしてきた歴史もあると思うんですね。
 今、大臣、非常にお答えにくいところであったと思います。お答えにくいというのは、簡単に答えられるようなことではないと。ちょっと時間も限られてきますので、もう一度、また後で質問させていただくかもしれませんが、次の質問に行かせていただきたいと思います。
 認定患者、いわゆる認定ですね、補償ランクの変更を求めている方がいらっしゃいます。Aランク、Bランク、Cランク、なかなか認められていないという声を聞きます。例えば、Bランクであった人が、症状が厳しくなってきた、やはり今の生活、そして将来に対する不安を持つ、だから、このランクを変更してほしい、変更してもらわなくてはならない、こういう声を聞きますが、公害等調整委員会に補償ランクの変更の申請を求めてもなかなか認められないというような現実があるそうであります。
 さて、補償ランクの変更の申請数と認められた数について確認をしたいと思います。

○小原政府参考人
 お答えします。
 公害等調整委員会では、水俣病の患者グループとチッソ株式会社との間の補償協定に基づき、補償ランクの判定を当委員会に求めることとした患者の申請について調停を行っています。具体的な数については、昭和四十八年に最初の調停が成立して以降、令和五年度末までに千四百六十七名の患者について調停が成立をしています。
 補償ランクの変更については、令和五年度末までに五百七十四件の変更申請を受け付け、このうち、ランクが変更された数は九十一件となっています。

○近藤(昭)委員
 ありがとうございます。
 変更を求められた方が五百七十四名、そこで認められた方が九十一名、これを、先ほど大臣もおっしゃったように、基準があるんだ、基準を設けてA、B、Cをやった、だからそれぞれの基準がある、だから基準を変えるにはまたその基準に基づくということでありますので、五百七十四人のうちの九十一人が多いのか少ないのか、これでは分かりませんし、そういう判断をすべきではないかもしれません。
 ただ、今回も、大臣も現地に行かれて、意見交換というか話を聞くという時間が設けられた。そういう中から、やはり患者さん、被害者の皆さんが、私なんかが聞く声は、これがなかなか認められていない、不合理と言ったら失礼かもしれないですね、実態に合っていないという声もよく聞くんですね。ここはしっかりと、公害等調整委員会という独立した機関でありますが、対応していただかなければならないと思います。
 さて、次に参りたいと思います。
 残念ながら発生の拡大がなかなか止められなかった、こういうことを先ほども申し上げました。いわゆる当初の食品衛生法の問題であります。ごくごく簡単にというか、質問したいと思います。
 この食品衛生法の問題でありますけれども、早くから、地元紙、熊本日日新聞等が、猫、てんかんで全滅、猫がてんかんで全滅してしまっている、ネズミの激増に悲鳴、ネズミが激増してしまっていると地元の住民の人たちの声があって、それを新聞が紹介しています。
 その後、関連報道はないわけでありますが、一九五六年五月一日に、チッソ附属病院の細川院長でありますが、小児科の野田医師を水俣保健所へ派遣し、原因不明の神経疾患児続発を報告した。これが水俣病発生の公式確認となったわけでありますが、そして原因究明が行われるようになった。
 一九五九年一月、厚生省食品衛生調査会の中に、熊本大学医学部研究班、国立公衆衛生院、国立衛生試験所などを中心とした水俣食中毒特別部会が発足をした。代表には、鰐淵健之熊本大学学長が就かれたわけであります。そして、同年十一月十二日に開催された食品衛生調査会合同委員会は、水俣病の主因を成すものはある種の有機水銀と答申をしたわけであります。五九年であります。発生源については触れられませんでした。
 しかし、十一月十二日、そして十三日でありますが、今後の原因究明は厚生省だけでは困難だという理由で、窓口を経済企画庁に移します。経済企画庁に移し、関係各省庁の多角的研究をすることとして、水俣食中毒特別部会は突然解散をした。この解散については、この部会の代表である、先ほど紹介しました、鰐淵健之熊本大学学長にさえ事前に知らされていなかったと聞いております。
 当時の渡辺良夫厚生大臣は十三日の閣議に食品衛生調査会答申を報告したが、池田勇人通産大臣は有機水銀が工場から流出したとの結論は早計だと反論したため、閣議の了解とはならなかった、こういうふうな報告がされています。
 このような国の対応が、まさに水俣病の発生拡大を止められなかったと私は思いますが、大臣の認識はいかがでありましょうか。先ほど申し上げました、いわゆる経済成長を、経済を優先をして、環境問題、現場で起こった環境汚染による食品の問題についてきちっと対応していなかったのではないか、それが発生を大きくしたのではないかと思いますが、いかがでありましょう。

○前田政府参考人
 お答えいたします。
 御指摘のような出来事があったことは承知をしてございます。
 そうした当時の様々な経緯も踏まえ、二〇〇四年、平成十六年の関西訴訟最高裁判決におきましては、一九六〇年、昭和三十五年一月以降、国には、いわゆる水質二法に基づいて対策を講じる義務があったにもかかわらず、それを怠った責任があると判示されたものと承知をしてございます。
 答弁は以上です。

○近藤(昭)委員
 また最後に大臣にも質問したい、考えもお聞きしたいと思いますが、その発生拡大が原因にあった、そして、裁判でも、そういう水質二法によってきちっと対応しなかった、だからこそ、国、自治体の責任を問うたところです。
 そして、残念ながら、私が申し上げたいのは、そうしたことが今も続いているところがあるのではないか。これまでもアスベストの問題があったし、今懸念しているのはPFOS、PFOAの問題であります。経済を第一にしているところがあるのではないか、今もってであります。
 さて、そういう中で、私は残念だと思いますが、水俣病の研究についてであります。最近は、水俣病そのものを研究する論文等の発表が減っていると思います。その背景に何があると認識しておられるのか、大臣、いかがでありましょうか。

○前田政府参考人
 お答えいたします。
 水俣病そのものの研究の範囲につきましては一概に言えないところはございますが、例えば、世界の主要医学系雑誌等に掲載されました文献をカバーする検索エンジン、PubMedで水俣ディジーズに関連する論文の数を十年単位で調べますと、一九五〇年代には百八十本以上の論文が発行されておりますが、その後、減少傾向となり、一九八〇年代には二十本程度まで減少しております。その後、増加に転じまして、二〇〇〇年代には二百五十本以上、二〇一〇年代には百八十本となってございます。
 一方で、水俣病患者の方の高齢化による合併症の増加など、水俣病の評価が困難になってきているという事実もあると認識をしてございます。
 答弁は以上です。

○近藤(昭)委員
 時間もないのであれですけれども、現状として確かに減っているわけでありまして、でも、今なお多くの方は現在進行形であります。そういう意味では、治療法等々を含めて、あるいは、今も解決に至っていないということで、裁判が起こっているという意味でありますが、私は、ある種、国もバックアップしてそうした研究を進めてもらいたい、こんなふうに思います。
 さて、次に行きたいと思います。医療の支援について、ちょっとお聞きしたいと思います。
 特措法でも救済されていない方々、あるいは、先ほども申し上げましたように、今まではランクがあって、その中でランクの変更を求めている方、いずれにいたしましても、被害者そして患者の皆さんたちが、特に特措法でも救済されていない方たちが痛切に求めている要望の一つに医療支援があると思うんですね。医療支援であります。
 公害原因者であるチッソが補償給付を拡大することが難しい、企業からすると、これは裁判でやってくれということであります。和解等の形になると、話合いがなければならない、なかなか進んでいない。
 そういう中では、一定の地理的範囲を決めざるを得ないかもしれませんが、感覚障害と暴露がはっきりする方については、全ての方を対象に何らかの医療支援を国が、最高裁でも問われたわけでありますから、支援をするということを検討できないでしょうか。大臣、お答えいただければと思います。

○伊藤国務大臣
 お答え申し上げます。
 現在なお認定申請や訴訟を行う方がいらっしゃるということは、大変重く受け止めております。
 一方で、水俣病問題については、公害健康被害補償法に基づいて三千人が認定を受けて補償を受けられるとともに、これまで平成七年と平成二十一年の二度にわたる政治救済により、合わせて五万人以上が救済されてまいりました。
 この補償、救済の中で、公害健康被害補償法に基づく水俣病患者の皆様については、慰謝料の支払いに併せて医療費等の支給が行われ、また、政治救済対象者については一時金の支払いと併せて医療費等に対する支援が行われてきました。
 水俣病対策については、今後、熊本、新潟で意見交換を進めるところでございまして、まずお話をお聞きし、歴史と経緯を十分に踏まえつつ、真摯に検討してまいりたいと思います。
 繰り返しになりますけれども、関係の皆様にできるだけ寄り添って対応できるように、現状を分析しつつ、現行法の丁寧な運用や医療、福祉の充実、地域の再生、融和、振興などの取組をしっかり進め、水俣病対策に全力を尽くしてまいりたいと思います。

○近藤(昭)委員
 大臣、最後にもう一度お聞きしたいと思います。
 今お答えいただきましたけれども、この間も裁判は続いていて、全面解決に至っていないということであります。そして、医療支援、つまり訴えていらっしゃる方は病状というか被害を訴えていらっしゃる。そういう中で、疫学的な調査をしっかりちゃんとやってくれ、これは第二回目の政治解決の中でも求められているところであります。そういう意味で、やはり疫学的調査をしっかりとする、そういう中で、本当に窮状を訴えていらっしゃる方にはきちっとした医療支援をしていく。
 そして、大臣、やはり構造的な問題が今もあると私は思っているんです。つまり、経済成長、経済を優先をしているところがある。だから、きちっと規制できない。そして、原因者である企業の態度は私は問題だと思っているんです。それも今も続いていると思うんです。そして、それは、今回のこの問題の原因者だけではなくて、その後も、先ほど申し上げましたアスベストでも、いわゆるメーカーはいまだにきちっとした和解というか救済策に応じていないんですね、裁判でやれと言っているんです。
 こうしたことに対する構造的な、私は冒頭申し上げました、やはり環境省は頑張ってほしい。命と健康を守ること、環境を守ることが環境省の役割であります。どうぞ、もう一度、最後に、時間が来ておりますので簡単で結構でございますので、大臣の決意をいただきたいと思います。

○伊藤国務大臣
 健康調査については、水俣病被害者特別措置法第三十七条三項で、そのための手法の開発を図るものと規定していることから、環境省では、脳磁計やMRIによる手法の開発を進め、昨年度、調査の在り方を御検討いただく研究班を立ち上げたところでございます。
 こうした専門家による議論も十分に踏まえながら、健康調査の実施に向けて、できるだけ早く検討を進めてまいりたいと思います。
 また一方で、患者の皆様のニーズ等を踏まえて地域の医療、福祉の充実等に取り組んでいくことは重要であるというふうに認識しておりまして、環境省では、患者の皆様の生活支援、患者の皆様の療養施設等の整備、介護予防事業の実施などに努めてきたところでございます。
 初期対応が遅れたということがこれだけ水俣病の被害が広がったことの一つの要因でもありますので、それを深く反省して、このような悲惨な公害を決して繰り返してはならない、その覚悟で、水俣病の問題について前進すべく全力を傾けてまいりたいと思います。

○近藤(昭)委員
 どうもありがとうございました。

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